新年明けましておめでとうございます

いよいよ年が明け、2017年1月となり新しい年が始まりました。

ビジネスホテル プラザ荒川沖は、初めての年始営業となっております。

皆さんにとって少しでもお役立ちができればと、常に試行錯誤しております。

どうぞ、今年一年もよろしくお願い致します。

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リニューアルキャンペーンあとわずか!

おはようございます

 大寒もすぎ、寒さも一段落でしょうか?まだまだ寒い冬が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか

いよいよリニューアルキャンペーンもあと数日になってきました

1月31日までのご宿泊予約でプラザ荒川沖ホームページから、シングル一泊5000円でご利用いただけます。

この機会に是非ともビジネスホテルプラザ荒川沖をよろしくお願い致します

今日の大浴場もこんな感じです、温まります

大浴場1

 

休館のお知らせ

 

平素は当ホテルを御利用いただき御厚情のほど、心より御礼申し上げます。

8月の12日より16日まで全館メンテナンスのため休館とさせていただきます。営業再開は17日よりとなっております。

少しづつですがリニューアルも着々と進んでおります。

今後ともホテルプラザ荒川沖をよろしくお願いいたします。

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【伊勢神宮】神様の“お引っ越し”。

鳥居 (1)

鳥居 (2)

遷御の儀:森厳な雰囲気 神様の“引っ越し”粛々と

白い絹の覆いに囲まれて新正殿に向かうご神体=三重県伊勢市の伊勢神宮内宮で2013年10月2日午後8時14分(代表撮影) 
【白い絹の覆いに囲まれて新正殿に向かうご神体】
伊勢神宮(三重県伊勢市)の20年に1度の式年遷宮は、

内宮(ないくう)で平成25年10月2日夜、

天照大神(あまてらすおおみかみ)のご神体を

新しい正殿(しょうでん)にうつす「遷御(せんぎょ)の儀」が行われた。

8年かけて続けられてきた一連の祭事のクライマックス。

闇に包まれた森厳な雰囲気の中、古式にのっとった儀式は粛々と進み、

神様の“引っ越し”は無事に終了した。

参拝

外宮(げくう)の遷御は5日夜に行われる。

午後8時前、内宮の新旧両社殿の前は明かりが全て消された。

神職が鶏の鳴き声をまねて「カケコウ」と3度唱える

「鶏鳴三声(けいめいさんせい)」を合図に、

元皇族の黒田清子(さやこ)臨時祭主(44)や、

鷹司尚武(たかつかさ・なおたけ)大宮司をはじめとする

遷宮装束姿の神職百数十人の「渡御御列(とぎょぎょれつ)」が旧社殿から姿を現した。

列の中央では、神職らが「絹垣(きんがい)」と呼ばれる

絹の覆いに囲まれたご神体「八咫鏡(やたのかがみ)」をささげ持つ。

たいまつの明かりをたよりに約20分かけ、

ゆっくりと歩を進めた列は、旧正殿の西隣に建てられた新しい正殿の方に消えた。

ご神体は新正殿に納められ、遷御の儀は終わった。

参拝2

690(持統天皇4)年に始まったとされる式年遷宮は今回で62回目。

約3000人の特別参拝者が桟敷席から見守った。

<伊勢神宮> ⇒  http://www.isejingu.or.jp/

<プラザ荒川沖> ⇒ http://www.arakawaoki.co.jp/

<2020>東京オリンピック決定!!

IOC会長

【 TOKYO 2020 】

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これから日本が元気になります!!

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嬉しい

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本当にうれしい!!

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これからが本番です。

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『 頑張ろう、ニッポン!』

<東京オリンピック招致フィルム> ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=UPXA4Or0vLI

<プラザ荒川沖> ⇒ http://www.arakawaoki.co.jp/

日本人がマトリックスをCG無しで再現し会場大熱狂!!

蛯名アメリカで放送されている

公開オーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」に登場した

日本人ダンスパフォーマー蛯名健一(Kenichi Ebina)さんが

あの「マトリックス」の1シーンを再現した

マトリックス・ロボット・ダンスで会場が大熱狂している動画です。

アメリカを驚嘆させました!!

↓↓

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=cn-NsWRtaSY

茨城県は、ビールの生産量日本一です!!

ビール<ビール工場に最適な茨城の豊かな自然環境>

『 いばらきの豊かな水、広大な土地、首都圏への快適なアクセス 。 』

年間を通してたくさんの人々に愛飲されているビール。

居酒屋などで、「 とりあえずビール! 」 と 最初の一杯を注文する、

ビール党の方も多く見かけます。

そして、このビールを日本で一番多く生成しているのが茨城県なのです。

茨城県では日本最大級といわれるアサヒビール茨城工場(守谷市)や、

キリンビアパーク取手(取手市)など、、

大手ビールメーカーの工場が稼動しています。

では、なぜ茨城県に大型ビール工場が設置されるのでしょう?

その理由のひとつが、” 豊かな水 “。

ビールの生成には、大ビン1本あたり約6倍の水が使用されるといいます。

その点、茨城県には霞ヶ浦など水量豊富な水源があり、十分な水を確保することができるのです。

次に、” 広大な土地 “。

例えばアサヒビール茨城工場の敷地面積は388,722平方メートル(東京ドーム約8個分)と、 国内でも有数の広さを誇っています。関東平野に覆われた茨城県だから提供できる敷地面積でしょう。

そして、大きな魅力となるのが ” 首都圏への快適なアクセス ” です。

茨城県南地区は、ビールの大消費地・東京の約30キロ圏内。

高速道路の整備に伴い、スピーディーな物流を実現しています。

このように茨城県には、ビール工場を設置する最適な条件が整っているのです。

 

2012年5月21日 金環日食を茨城で見よう!!

2012年5月21日、いよいよ金環日食が観測できる日がやってきます。

金環日食は、太陽の手前を月が横切ることで一部が隠れ、太陽が欠けて見える「日食」の中でも特に珍しく、太陽の内側に月が完全に入り込み、太陽が細いリングのように見えるという天文現象です。

日本国内では、1987年9月23日の沖縄金環日食以来25年ぶり、首都圏近郊で観測できるのは1839年9月7日以来、実に173年ぶりのことなのです。
今回を見逃すと、次は2030年6月1日の北海道となり、首都圏で観測できるのは、なんと300年後の2312年4月8日になってしまいます。

一生に一度あるかないかの天体ショー、ぜひ茨城で観測してみませんか!?

今回は東京、大阪、名古屋など、太平洋側を中心に本州でも広く観測でき、茨城県は全域が金環日食を見ることができるエリアに入っています。

茨城県は中心線が通る最も東端であり、沿岸などから金環日食を見るのに絶好のポジションです。茨城県は朝7時35分から37分頃に最大食を迎えます。
今回の日食で行方市や河内町では、最大で太陽の直径の97%まで太陽面上に月が入り込む予想で、金環日食が見られる時間が5分を超える場所もあります(国立天文台 天文情報センターHPより)。

金環日食についての詳しい情報は国立天文台のページをご覧ください

 

次のような誤った方法で観察を行うことは大変危険です!

・太陽をじかに見つめる
・望遠鏡や双眼鏡の使用
・サングラスをかけての観察
・色つき下敷

水戸のボランティア丸1年。被災地へ1万人超。

メッセージ土のうやアーモンド植林も

【写真説明】白い土のうに書かれた励ましのメッセージ

全国に先駆けて東日本大震災の被災地・宮城県へ水戸市の旅行会社が送り込んだボランティアバスの運行が、開始から間もなく1年を迎える。活動は、ボランティア人員を運ぶだけにとどまらず、復旧工事に使用される土のう袋へのメッセージ記入やアーモンドの木を復興のシンボルとして植える植林など新境地を開拓。バスは多くのボランティアや被災地への思いを乗せ、今も水戸から出発している。

ボランティアバスを運行しているのは、水戸市城東の旅行業「ビーフリー石塚観光」(綿引薫社長)。昨年の4月29日から土日曜・祝日にバス運行し、開始当初からインターネットなどを通じて全国的な話題となった。同社によると、石巻市や東松島市に運んだボランティアの数は3月末で累計約1万100人に上る。

土のうにメッセージを書く取り組みは、昨年5月からボランティアに参加したつくばみらい市の小学校の女性教諭2人が、教え子の児童が絵を描いた土のう袋を持ち込んだのがきっかけ。8月には、東京のOLが寄せた千枚に那珂市の横堀小、東海村の照沼小、水戸市の石川小の児童たちがメッセージを書いた。

土のう袋はその後もひたちなか青年会議所OBから約1万枚、阪神淡路大震災の被災地・神戸市の青年実業家からも1万枚が寄せられた。口コミで全国に広がったメッセージ記入には小中学校や幼稚園から申し出が相次ぎ、少なくとも全国55の学校や団体などが協力したという。

メッセージ土のうのきっかけとなったつくばみらい市・豊小の石島礼子教諭は「自分でできることと思い立ち、同期の半田理恵さんと企画して担任の1年生のクラスで始めた。現地の人も、書いた子どもたちも喜んでくれた」という。

同市・板橋小の4年生の担任だった半田理恵教諭は「活動に広がりが出て、うれしい。何より最初からかかわってくれた子どもたちが喜んでいる」と語る。

アーモンドの木の植林は、神戸市で既に進められている千本のアーモンド並木をつくる構想にヒントを得た。桜に似たやや大ぶりの花を咲かせるアーモンドの花言葉は「希望」。綿引社長が知人を介して100本を手に入れ、ボランティア参加者が石巻市で植林。ボランティアバスが運んだ被災地への思いが、大きく成長しようとしている。

茨城から全国へ、そして世界へ!茨城県で生まれたスポーツ『 パンポン 』

パンポンを簡単に説明すると、卓球とテニスをミックスさせたようなスポーツ。長さ30cm・幅20cm・厚さ1cmの板をラケットとして使用し、軟式テニスボールを打ちあいます。ですが、コートは縦7m×横2.5mと、テニスに比べ、かなり小さめ。これは誰もが手軽に楽しめるパンポンの、特徴のひとつと言えるでしょう。

パンポンが誕生したのは、大正10年(1921)年頃とされています。場所は日立市にある日立製作所日立工場(山手工場)。当時、従業員の昼休みの過ごし方としてポピュラーだったキャッチボールは、施設の窓ガラスが割れる被害が多く、規制されることに。

そこで彼らは、ミカン箱などを利用し、テニスボールを打ちあう“球遊び”を始めたのです。日立製作所日立工場にはパンポン発祥の地の石碑もあり、パンポンのルーツが、間違いなく茨城にあることを証明しています。

普及も競技もリズミカルに進行

以降、徐々に広まっていったこのスポーツは、「パンと打ってポンと弾む」ことから、当時の日立工場長であった高尾直三郎によって『パンポン』と名付けられ、正式なルールも設定されることになりました。一企業の社技として生まれたパンポンは、どこでも、誰でも気軽に楽しめるスポーツとして、今では一般にも広く浸透。小・中学校のクラブ活動や、子供会の行事などにも取り入れられ、多くの人に親しまれています。

ご当地である日立市では、昭和55年(1980)から市民参加によるパンポン大会(シングル、ダブルス、ミックスダブルス)が開催されるなど、年々、そのスポーツ人口は増加しています。平成18年(2006)の第27回大会には、なんと330名もの人々が参加し、有意義な汗を流しました。

それぞれに宿る『パンポン』の魅力

ここでパンポンの魅力を探ってみましょう。初心者の誰もがすぐに楽しめる間口の広いレクリエーション…ではありますが、同時に深い競技性も秘めています。可愛らしいネーミングを持つパンポンは、上達するほどに、ハードな程の爽快さを味わえる、実は立派な“スポーツ”でもあるのです!

実際、プレーしている方たちに、パンポンの面白さを語ってもらいました。「屋内外を問わず簡単に準備できて、かたづけも簡単」、「家族みんなで楽しめる」、「短時間で多くの運動エネルギーを消費できる」、「初対面の人とでも親しく交流できる」、「意外と難しくてやりがいがある」、「汗をかいてスッキリできる」などなど…。多様なコメントからも、様々な楽しみ方が潜んでいるスポーツだということが垣間見えてきます。

現在では、他県において、体育指導員・研修会に取り上げられたり、愛好家を増やすなど、全国規模での広がりを見せつつあるパンポン。また、英語や中国語での公式ルール説明書を作成し、来日する外国の人々への普及も進んでいます。このままいくと、茨城が発信地となるパンポンの、世界選手権開催や、オリンピック競技になって、世界中の人々に愛され、そしてプレーされる日がくることも、決して夢物語ではないかもしれませんね。