身近な酉の市(阿見町)

阿彌神社(阿見町)酉の市にて

 

当ホテルから阿見町方面へクルマで10分弱―阿彌神社の酉の市に行ってきた。もちろん、商売繁盛を祈願して熊手を買うためである。

 

正面の鳥居から本殿までおよそ200メートルであるが、その本殿に向かってすぐ右手に熊手を売る店があった。屋号「栄商」さんである。年配のご主人と、そのほかに揃いの半纏を着た若衆が数人に加えてきれいな娘さんもいる。正に活気に満ちているという、こういう雰囲気がとても好きだ。

 tori1

熊手のサイズはいろいろとある。もちろん、値段は大きさによる。店の中でもひときわ目を引くのが正面奥に飾ってある特大サイズのもので、値段は50万円もするという。しかも、すでに売約済みでることに重ねて驚いた。それでも、昔はもっと大きな熊手があったそうだ(今ではあまりに大きなものは職人が作らなくなったとのこと)。

 tori3

さすがに50万円というわけにはいかないが、手ごろな大きさの熊手を手に入れた。すると、栄商の皆さんが拍子木を使って手締めをしてくれる。それがなんとも気持ちよい。

 tori2

栄商さんはこれから三の酉(27日)に合わせて浅草に向かうというが、来年もこの地に来てくれるという。ぜひ来年も熊手を購入したいと思った。

震災復興祈念-天心・波山記念事業

620923勿来五浦海岸[1]

-震災復興祈念-天心・波山記念事業

平成25年(2013年)は、

茨城県ゆかりで日本美術史に偉大な足跡を残した

岡倉天心生誕150年・没後100年、板谷波山没後50年の節目にあたります。

岡倉天心

< 岡倉天心 >

波山

< 板谷波山 >

二人の偉業を顕彰する記念展覧会及び関連イベントを実施することで、

天心

その功績を県内外に発信し、震災復興の力、郷土愛の醸成及び

茨城のイメージアップにつなげていきます。

619853l[1]

映画「天心」の完成試写会がありました。

松村監督が「県民に感謝」 ⇒ http://youtu.be/N-leZ2uFxa8

<映画・天心> ⇒ http://eiga-tenshin.com/

<五浦美術館> ⇒ http://www.tenshin.museum.ibk.ed.jp/

<プラザ荒川沖> ⇒ http://www.arakawaoki.co.jp/

 

もうすぐ、土浦の花火大会です!

花火

『 土浦全国花火競技大会 』

10月5日(土) 18:00~ 茨城県土浦市桜川畔(学園大橋付近)

JR土浦駅より徒歩20分

10月の夜空に、なんと 20,000発!!

” 色・音・光 ” の瞬間芸術!

茨城・土浦が感動に包まれる夜…….。。

【なぜ、土浦の花火大会は日本一と言われているのか?】

土浦全国花火競技大会は、

通常の花火大会とは違い 出品花火に対する評価がつくので、(内閣総理大臣賞 他)

参加される全国の花火師の方は特に力を入れてくる大会なのです。

約60社の煙火業者が集まります(7・8・9月はあちこちの花火大会で忙しいのです)

土浦の花火が質も規模も日本最高峰なのには理由があります。

それは、全国の花火師が1年がかりで準備した花火を出品するからなのです。

決められた時間の中で、、、

企画、演出、音楽とのシンクロの緻密さ……

そして、ストーリー性などが問われます。

毎年どんどんレベルが高くなってきています。

とにかく、 『 いい花火 』 に出会いたかったら、

土浦の全国花火競技大会が一番!!

一晩に数多くの 『 名玉 』 に出会うことができるはずです。

<2012年 土浦花火大会>

↓↓

http://www.youtube.com/watch?v=4O2DL1U6Ck0&feature=player_embedded

<プラザ荒川沖>・・・・http://www.arakawaoki.co.jp

常陸国風土記 1300年記念

風土記

2013年は、

奈良時代 ( 713年 )に風土記編さんの詔がだされてから1300年。

東日本で唯一、今に伝わる常陸国風土記は

ALP83-03-C

当時の茨城を今に伝える貴重な文化遺産です。

極大福

アナタ もさまざまなイベントを通じて、

常陸国風土記にふれてみませんか?

<常陸国風土記 1300年記念事業>⇒ http://www.hitachifudoki1300.jp/

<プラザ荒川沖> ⇒ http://www.arakawaoki.co.jp/

 

文化人のオリンピックにかける思いとは、、

パルテノン

オリンピックは美の祭典。

スポーツとアートは共通点が多い。

もっと、日本の歴史や文化をPRしよう!

2020東京オリンピック招致ビデオ ↓↓

http://www.youtube.com/watch?v=UPXA4Or0vLI

若い世代からの支持を得るためには、、

【招致インタビュー】

アーティスト:日比野克彦さん ↓↓

http://www.youtube.com/watch?v=yiOD4Xh_ZAA

 

平成の名馬 『 ライスシャワー 』 

ライスシャワー

昨日、6月4日はライスシャワーの命日でした。

「結婚式でのライスシャワーのように、全ての人々に幸福が訪れるように」との意味を込めて

名付けられた同馬は、わずか440㎏ほどしかない小さな体で、

1992年の菊花賞、そして1993年と1995年の天皇賞(春)を2度制覇。

http://www.youtube.com/watch?v=Fv3YZFAD6Cc

ライスシャワー墓京都競馬場に建立されている慰霊碑には、今でも彼を愛するファンから供花が届けられ、

ライスシャワーは最も輝いた淀の地で安らかに眠っています。

※ ライスシャワーは、茨城県のJRA美浦トレーニングセンターで育ちました。

↓↓

http://www.jra.go.jp/miho/

http://www.arakawaoki.co.jp

日本列島は、茨城県から始まった !?

教授

田切美智雄 茨城大学名誉教授

<古生代・カンブリア紀の地層を茨城県常陸太田市で発見!>

茨城県常陸太田市の茂宮川最上流部で、日本で最も古い5億1100万年前の地層が発見されました。発見したのは、日立市郷土博物館特別専門員で茨城大学名誉教授の田切美智雄(たぎり・みちお)さんの研究チーム。田切さんたちは2008年にも茨城県日立市小木津町の山中で5億600万年前の地層を確認していましたが、2010年に行われた調査で、さらに500万年さかのぼる地層が発見されたのです。この調査では日立市内に5億7000万年前の地層があることも判明し、古生代・カンブリア紀の地層が約30平方キロにわたって広がっていることも分かりました。

田切さんは以前からこの地域を調査しており、サンゴの化石などから約3億5000万年前の地層があることが分かっていました。そこで今回は、さらに詳しく調べるため、化石ではなく物理的な年代測定を実施。オーストラリアで開発されたシュリンプ(SHRIMP)という高精度の測定装置で、採取した岩石の年代分析を行いました。

tisou01[1]

分析には、岩石に含まれるある物質を利用します。

それは、岩石に含まれるジルコンという鉱石の中のウラン238。このウラン238には、長い時間をかけて一定のスピードで壊れて行き、最終的には鉛に変化するという性質があります。そこで、岩石の中のウラン238と鉛の割合を正確に調べることで、採取した岩石がいつごろ誕生したのかを知ることができるのです。この方法で割り出された年代は、ウランが放射性物質であることから、放射年代と呼ばれています。   この方法で明らかにされた世界で最も古い鉱物は、約44億400万年前のもので、オーストラリア西部で発見されました。また、世界で最も古い石はカナダで発見された約42億8000万年前の岩石。グリーンランド南西部では、約38億年前の堆積岩が発見されています。地球が誕生したのが約46億年前と言われているので、これらの年代には驚くべきものがあります。   しかし、茨城県で発見された日本最古の地層は5億1100万年前。この数字の開きには理由があります。それは、日本列島には火山が多く存在し、地殻変動が激しいこと。地殻の隆起や陥没、また火山の噴火活動などで、古い地層が残りづらい環境にあるのです。日本で発見される恐竜などの化石が断片的で、全身がきれいな形で発掘されることが稀なのも、この激しい地殻変動が原因ではないかと言われています。このような条件にも関わらず5億年以上も前の地層が発見されたということは、日本列島の歴史を知る上で大きな意味を持っています。

tisou03[1]

では、茨城で発見された5億1100万年前の地層から、いったいどんな事が分かるのでしょう。それは、日本列島誕生の秘密です。

現在、地球上には、ユーラシア、北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、オーストラリア、南極大陸の6つの大陸があります。しかし、5億年前の地球は違います。南アメリカやアフリカ、オーストラリア、南極大陸などを含めた、ゴンドワナ大陸という超大陸があったと考えられています。このゴンドワナ大陸が分裂することで、現在の6大陸が生まれた。つまり、大陸は同じ場所にあるのではなく、少しずつ動いているのです。

大陸の移動は、地球科学の分野でプレートテクトニクスと呼ばれています。地球はプレートと呼ばれる固い岩板で作られていて、このプレートは対流するマントルに乗って互いに動いているという学説です。

この学説に従えば、今回発見された地層と同じ地層を持つ地域と、茨城県は繋がっていたのではないかと考えることができます。   その繋がっていた可能性がある地域とは、中国東北部やロシアの極東部。どちらからも、約5億年前の地層が見つかっています。つまり茨城県は、ゴンドワナ大陸の東の端にあった火山地帯であり、それが日本列島の始まりではないかと考えられるのです。

その後、2億4000万年前ごろに茨城県は新しい大陸バンゲアの一部となり、そこに海底の移動とともに運ばれた堆積物と陸から運ばれた岩石などがはり付きました。その一部が地底の奥深くで圧力と高温で固められ、日本列島の土台になったと考えられます。そして、約2500万年前に大陸の縁が割れ始め、2000万年前ごろに日本列島の原型が形作られたのです。   茨城県で発見された地層が作られた5億1100万年前は、古生代・カンブリア紀に分類されます。この時代には「カンブリア大爆発」と呼ばれる現象が起きました。その現象とは、アノマロカリスやオパピニアなど非常に奇妙な姿をした生物が大量に現れたこと。まだ、この地層からは、このような物の化石は確認されていないので、今後の調査での発見が大いに期待されています。

tisou04[1]    知的観光旅行が楽しめる「茨城県北ジオパーク」

皆さんは「ジオパーク」をご存知でしょうか? ジオパークとは、ヨーロッパで始まった、ジオ(地質・地形など)を主な見所とする大地の公園のことです。2001年にジオパークを推進する国に対するユネスコの支援が決定し、2004年に世界ジオパークネットワーク(GGN)が設立。2009年には日本ジオパークネットワーク(JGN)が設立されました。そして、5億1100万年前の地層が発見された茨城県の北部も「茨城県北ジオパーク」として、2011年に日本ジオパークネットワークに加盟。現在、世界ジオパークネットワークへの加盟を目指して、様々な活動を展開しています。   現在、世界ジオパークネットワークに加盟している地域は87カ所(2011年9月現在)。また、日本ジオパークネットワークに加盟しているのが20カ所(2011年10月現在)で、その中の5地域が世界ジオパークネットワークに加盟しています。ユネスコからジオパークとして認められるためには、地形学、生態学、考古学、歴史・文化に重要なサイトを含むことなどクリアしなければならない条件が幾つかあります。その中でも「公的機関、地域社会、様々な団体、研究教育機関の連携による運営」や、「ジオツアーや地域の特産品による新たな収入の道を開く」など、地域振興に繋がる項目が審査基準のガイドラインとして設けられています。

ジオツアーの様子

「茨城県北ジオパーク」の運営は、関係する各市町村の地方自治体と茨城大学などで構成される茨城県北ジオパーク推進協議会が行っています。登録されているサイトは、約5億年前の地層が見られる「日立」や芸術家・岡倉天心が愛した「五浦海岸」など13カ所。それぞれ、ユニークな特徴を持った地質とその上に育まれた動植物、また、人の暮らしに息づく歴史や文化などを堪能することができます。

このジオサイトをガイドするインタープリターは、すべて地元の人たちで構成されています。大学の教員を講師として開かれる養成講座を受講し、専門的な知識を身につけジオサイトの歴史や見所などを解説しています。このような取り組みを通して、茨城県北ジオパークが地域に浸透し、地域で暮らす人たちの郷土に対する誇りを養うことも、ジオパークの大切な役割の一つです。皆さんも、茨城県北ジオパークで、知的観光旅行を楽しんでみませんか?

http://www.ibaraki-geopark.com/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E5%8C%97%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%81%AF/

 

 

 

 

 

茨城で醸造、日本初の本格的国産ワイン!

シャトー[1]

< 茨城に建てられた “ シャトー ” の秘密 >

 

日本初といわれている本格的な国産ワインの製造は、

茨城県稲敷郡岡田村(現・牛久市)で始められました。

時は1898年(明治31年)、フランス・ボルドー産のブドウの苗木約6,000本が移植されたのです。ブドウ畑の面積は約120町歩(1,188,000平方メートル)という広大なもの。

これが、現在も残る『シャトーカミヤ』建設の第一歩となったわけです。

シャトーカミヤは、ブドウだけでなくワインの製造方法にもこだわり、ワインの本場フランス・ボルドー地方の醸造法を導入。ブドウの苗木を移植すると同時に醸造場の建設を始め、シャトーカミヤの本館は1903年(明治36年)に完成しました。

この茨城県で製造されるワインが“本格的”と言うのには理由があります。

それは、醸造場の名称であるシャトーカミヤの“シャトー”という冠。

このシャトー(フランス語でお城)を名乗るのには、厳しい条件があります。原料となるブドウの栽培から醸造、そしてビン詰めに至るまで、一貫生産する本格的な醸造場にだけ許される称号なのです。

レンガ造りのこの建物は、現在、本館のほか醸造場や倉庫などの一部が残り、そのままレストランや資料館として利用されています。

 < 幕末の偉人たちが、茨城で祝宴(ワインパーティー)を開催 >

『シャトーカミヤ』が建てられた明治・大正時代は、日本が封建体制から近代国家へと大きく舵を切った劇的な転換期。茨城で始められた本格的なワインづくりも、この近代化への取り組みに大きく貢献するものでした。

この試みに大きな関心を示したのが、明治政府樹立を達成した幕末の偉人たち。シャトーカミヤのオーナー神谷傳兵衛と親交のあった『勝海舟』や『榎本武揚』らが、このシャトーカミヤを訪れています。

ワインは食と切っても切れない関係。

食文化の近代化は、こうして茨城から始まった…と言っても過言ではないかも知れません。

そして1913年(大正2年)には、自由党を結成して総理となった『板垣退助』が,
比蜜閣(ひみつかく・シャトーカミヤ本館2階)でワインパーティーを開催。軍や政府の要人たちとともに、
茨城で造られた日本初の本格的ワインに舌鼓を打ったということです。

江戸時代を語る人骨1万体、栄養失調や伝染病が多く小柄だった

<江戸を語る人骨1万体 小柄な体・栄養失調・伝染病>

東京都内の開発で掘り出された人骨を、国立科学博物館(科博)が大量に保管している。ざっと1万人分。江戸時代の骨がほとんどで、今よりも小柄で栄養状態も悪かった。時代劇のイメージとは違う江戸の人々の厳しい暮らしぶりが、浮かび上がってくる。

「この頭の骨は左の側面に鋭い刃物の傷が2本。日本刀で斬り殺されたのでしょうね」「青黒いシミがついたこちらの骨は、梅毒の痕跡ですよ」新宿区百人町の科博新宿分館。人骨がびっしり並ぶ人類研究部の収蔵庫で、人類史研究グループ長の篠田謙一さんが説明する。

研究用に科博は20年ほど前から、開発業者などが持ち込む江戸時代の人骨を受け入れてきた。
分館は来春までに茨城県つくば市に移転する予定で、荷造りを前に人骨の分類やクリーニングが続く。

骨は江戸の人々の暮らしぶりを伝えている。栄養状態が悪く、特に鉄分が不足していた。現代なら死亡率
の低い若い世代の骨が多いのも特徴で、伝染病がたびたび流行し、人が簡単に死んだことを物語るという。

江戸時代の成人の平均身長は男性が150センチ台半ばで、女性はそれよりも10センチほど低い。
日本のすべての時代の中で最も小柄だった。栄養状態が悪いうえに狭い長屋などに密集して生活した
ストレスの影響と考えられるという。「生活は厳しかった。スラムといった方がいい江戸の影の部分が
骨には記録されています」と篠田さん。

http://www.asahi.com/national/update/1217/TKY201112170155.html

日本人による初の発掘調査が行われた遺跡。

明治時代に日本人だけで初の発掘調査を敢行

国道125号線から横道に入り車で数分。牧歌的な風景を眺めながら、陸平貝塚へと辿り着きました。競走馬のトレーニングセンターで有名な茨城県美浦村には、日本人だけによる近代科学的な発掘調査が初めて行なわれた陸平貝塚(おかだいらかいづか)が存在します。

この陸平貝塚は、霞ヶ浦南岸に面する美浦村安中(あんじゅう)地区に所在する縄文時代の貝塚遺跡。明治12年(1879年)、当時東京大学の学生だった佐々木忠二郎(ささきちゅうじろう)と飯島魁(いいじまいさお)の二人によって発掘調査がなされたのです。初の発掘調査が行なわれたことと同時に、全国の貝塚遺跡の中でも屈指の規模を誇ることや、地形や景観、非常に良好な状態で遺跡が残されていたため、陸平貝塚は考古学での重要な学術的事柄として、その価値が高く認められています。

数千年前に生きた人々の暮らしが窺える貴重な場所

霞ヶ浦に面した周囲7.5キロメートルの島状の台地中央部に位置する東西250メートル・南北150メートルの平坦部を取り囲むように、大小8つの貝塚群で構成された陸平貝塚。この貝塚は縄文時代の中・後期(5000年前~3000年前)を中心に形成されました。ちなみに貝塚とは古代人類のゴミ捨て場。それだけに、当時の人々がどんな生活をしていたかを考えるうえでの大事なヒントがたくさん散りばめられているのです。

台地の平坦部は陸平縄文人のムラの跡で、竪穴住居址や墓坑、貯蔵穴などが確認され、貝塚自体には、ハマグリ、オキシジミ、サルボウ、アカニシなど干潟の貝が見られ、獣や魚の骨、土器や石器などの生活道具も発見されています。カルシウム豊富な貝塚エリアだからこそ、骨が残っているというのも象徴的な事柄。縄文時代に生きていた人の骨は、その他の資料や出土品と共に、隣接する美浦村文化財センター(陸平研究所)で見ることができます。

ふるさとへの愛着が呼び起こした活動の広がり

歴史的な発掘から数十年の時を経た昭和62年(1987年)に行なわれた陸平貝塚の確認調査で、現状は確保され、ほぼ完全な形での保存が達成されたものの、本格的な整備が行なわれるには至りませんでした。ですが、平成7年(1995年)、「ふるさとの大切なものを守り、残していきたい」とする地域住民による『陸平をヨイショする会』発足をきっかけとし、新たな動きが展開されることに。荒れ地の草刈りから始まったこの活動は、徐々に周囲の理解を呼び、美浦村教育委員会との連携もあって、陸平貝塚の国指定史跡へと結びつくのです。

2008年からは約10年計画で、住民参加型の確認調査も行なわれることになりました。現在では、専門家からの話を聞く勉強会、また陸平貝塚を核とした様々なイベントの開催、陸平研究所施設で行なわれる子供向けの土器づくり体験など、地域に根ざした美浦村文化財センター(陸平研究所)の活動は、大きな広がりを見せています。

歴史に想いを馳せ、のんびり散策する絶好のスポット

陸平貝塚の周辺には、古墳や戦国時代に巨城のあった木原城址、他にも古くからの由緒ある神社など、歴史的なスポットも多く存在しています。霞ヶ浦を始めとする自然豊かな風景も抜群ですから、歴史のロマンに浸りながら、休日の散策を楽しむのにも、実にもってこいの環境ですね。