日本人による初の発掘調査が行われた遺跡。

明治時代に日本人だけで初の発掘調査を敢行

国道125号線から横道に入り車で数分。牧歌的な風景を眺めながら、陸平貝塚へと辿り着きました。競走馬のトレーニングセンターで有名な茨城県美浦村には、日本人だけによる近代科学的な発掘調査が初めて行なわれた陸平貝塚(おかだいらかいづか)が存在します。

この陸平貝塚は、霞ヶ浦南岸に面する美浦村安中(あんじゅう)地区に所在する縄文時代の貝塚遺跡。明治12年(1879年)、当時東京大学の学生だった佐々木忠二郎(ささきちゅうじろう)と飯島魁(いいじまいさお)の二人によって発掘調査がなされたのです。初の発掘調査が行なわれたことと同時に、全国の貝塚遺跡の中でも屈指の規模を誇ることや、地形や景観、非常に良好な状態で遺跡が残されていたため、陸平貝塚は考古学での重要な学術的事柄として、その価値が高く認められています。

数千年前に生きた人々の暮らしが窺える貴重な場所

霞ヶ浦に面した周囲7.5キロメートルの島状の台地中央部に位置する東西250メートル・南北150メートルの平坦部を取り囲むように、大小8つの貝塚群で構成された陸平貝塚。この貝塚は縄文時代の中・後期(5000年前~3000年前)を中心に形成されました。ちなみに貝塚とは古代人類のゴミ捨て場。それだけに、当時の人々がどんな生活をしていたかを考えるうえでの大事なヒントがたくさん散りばめられているのです。

台地の平坦部は陸平縄文人のムラの跡で、竪穴住居址や墓坑、貯蔵穴などが確認され、貝塚自体には、ハマグリ、オキシジミ、サルボウ、アカニシなど干潟の貝が見られ、獣や魚の骨、土器や石器などの生活道具も発見されています。カルシウム豊富な貝塚エリアだからこそ、骨が残っているというのも象徴的な事柄。縄文時代に生きていた人の骨は、その他の資料や出土品と共に、隣接する美浦村文化財センター(陸平研究所)で見ることができます。

ふるさとへの愛着が呼び起こした活動の広がり

歴史的な発掘から数十年の時を経た昭和62年(1987年)に行なわれた陸平貝塚の確認調査で、現状は確保され、ほぼ完全な形での保存が達成されたものの、本格的な整備が行なわれるには至りませんでした。ですが、平成7年(1995年)、「ふるさとの大切なものを守り、残していきたい」とする地域住民による『陸平をヨイショする会』発足をきっかけとし、新たな動きが展開されることに。荒れ地の草刈りから始まったこの活動は、徐々に周囲の理解を呼び、美浦村教育委員会との連携もあって、陸平貝塚の国指定史跡へと結びつくのです。

2008年からは約10年計画で、住民参加型の確認調査も行なわれることになりました。現在では、専門家からの話を聞く勉強会、また陸平貝塚を核とした様々なイベントの開催、陸平研究所施設で行なわれる子供向けの土器づくり体験など、地域に根ざした美浦村文化財センター(陸平研究所)の活動は、大きな広がりを見せています。

歴史に想いを馳せ、のんびり散策する絶好のスポット

陸平貝塚の周辺には、古墳や戦国時代に巨城のあった木原城址、他にも古くからの由緒ある神社など、歴史的なスポットも多く存在しています。霞ヶ浦を始めとする自然豊かな風景も抜群ですから、歴史のロマンに浸りながら、休日の散策を楽しむのにも、実にもってこいの環境ですね。

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