『 クレンズダイエット 』 とは、、、

フルーツ

「クレンズダイエット」をご存知でしょうか?

フレッシュジュースを使ったダイエット方法なのですが、

美しく痩せられるということで、、

海外のセレブの間で人気があるそうです。

クレンズダイエットに限らず、フレッシュジュースにはさまざまなメリットがあります。

量販店やホームセンターでジューサーを購入すれば、

誰でも簡単に栄養たっぷりな手作りジュースを堪能できますよ!

http://diet.beauty.yahoo.co.jp/db/detail/252/

 

ラジオ体操を作った茨城県人とは、、

遠山

「腕を前から上げて、背伸びの運動からぁ」と聞くと、身体が自然に動きだしませんか?

< 自然に身体が動く「つなぎ」と「流れ」のリズム体操 >

これほどまでに、日本人の身体に刻み込まれたラジオ体操。

実はこのラジオ体操を作ったのは、茨城県出身の遠山喜一郎さんです。

『 遠山喜一郎(とおやま・きいちろう)  』

遠山さんは明治42(1909)年に茨城県に生まれました。優れた身体能力で体操競技に打ち込み、昭和11(1936)年に開催されたベルリンオリンピックに日本代表選手として出場。  後に、日本体操協会副会長を務めるとともに日本にいち早く新体操を紹介し、その普及と発展に尽力した人物としても知られています。

遠山さんが作成依頼を受けたのは、戦後のラジオ体操再改訂版(現在のラジオ体操)。再改定版ですから、それ以前に改訂版が存在しました。しかし改訂版は、動作が複雑な上に難しく、ほとんど国民に浸透しなかったため、昭和21(1946)年の放送開始から1年半で中止になってしまいます。そこで、遠山さんをはじめとする原案作成委員たちの、新しいラジオ体操を作るための取り組みが始まりました。

作成に当たって重点を置いたのは、動きの「つなぎ」とリズムの「流れ」。

「一度動き出したら、音楽に乗って最後までやりきれるものでなくてはならない」というのが遠山さんの体操理論。それまで日本にはない身体の動きは、作成するのが非常に困難だと思われていました。しかし、戦時中に土浦海軍航空隊予科練で体育教師を務めていた遠山さんは、その時すでにリズム体操を訓練に取り入れていたのです。その経験を生かし、ラジオ体操をたった一人で作り上げました。

そして、昭和26(1951)年5月、ついにラジオ体操の放送が開始されました。その出来映えはあまりにも素晴らしく、アメリカ空軍の大佐から「自分たちの基地でも取り入れたい」と申し入れがあったという逸話が残されています。

< ラジオ体操に対する熱意が、終戦直後のGHQをも説得   >

こうして戦後のラジオ体操は、アメリカ軍からも認められる存在となりましたが、そこに至るまではかなり険しい道のりでした。終戦直後、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領統治下に入ります。しかし、すぐにラジオ体操が中止になったわけではありません。敗戦の日の1週間後には、当然のようにラジオ体操は再開。それほど、日本人の生活に密着した存在となっていたのです。

しかし、それを目にしたGHQ内でラジオ放送を管轄していたCIE(民間情報教育局)は、NHK(日本放送協会)の幹部職員を呼びつけ即刻中止を指示します。なにしろNHKラジオから流れてくる号令に合わせて、約300万人ともいわれる人たちが一斉に同じ動作を行うのです。欧米人にはまったく理解できず、ある意味、恐怖を覚える光景だったのかも知れません。

当時、GHQは「軍国主義的及ビ極端ナル国家主義的イデオロギーノ普及ヲ禁止スルコト」という日本に対する戦後教育を行っていました。ともすると、全体主義的に見えるラジオ体操が禁止されるのは当然のことでもありました。そこで、ラジオ体操関係者らが、「ラジオ体操は気分をさわやかにするもので、争いをなくすには効果的だ」と説得します。実際に連合軍の将校たちの前で体操を見せるなどの努力の結果、ラジオ体操は再開されたのです。

遠山さんも戦後のラジオ体操改訂版が中断したときには、全国の教育委員会を廻り、県民体操や市民体操の制定を求めて奔走しています。上からの統制ではなく、国民が自発的に行う民主主義的な活動であるなら、GHQも規制できないと考えたからです。

実際に、遠山さんは茨城県民体操をモデルとして作成。

現在も、県内にある多くの小・中学校で取り入れられています。

< ラジオ体操の素晴らしさは、富士山の美しさと同じ >

日本でラジオ体操が最初に放送されたのは、昭和3(1928)年のこと。アメリカの生命保険会社が考案したラジオ体操を実施し、日本での簡易保険普及のために活用しようと考えたのです。そして、郵政省簡易保険局が制定し、生命保険会社協会とNHKとの共同で広められました。しかし、NHKで簡易保険の広告をすることはできず、集団的精神を培養するためとして事業は進められました。

ラジオ体操の黎明期には、全国に広めるためのさまざまな取り組みが行われました。体操をしながら眺める「体操掛軸」や「体操人形」の作成、また、「国民体操宣伝隊」を組織し、全国各地を廻る取り組みもなども行われています。また、「健康星取表」というカードの無料配布も行われました。体操をした後に星を付け、1銭の貯金をする。ラジオ体操をすると、健康とお金が手に入るというわけです。   さらに、体操の指導者育成も積極的に行います。全国各地でラジオ体操指導者講習会が開かれ、修了者には「指導者章」が授与されました。昭和13(1938)年には約11,000人が指導者として認定され、各地で「ラジオ体操の会」が発足。さらに全国統一組織「ラジオ体操連盟」が結成されました。

これが現在の「全国ラジオ体操連盟」の前身です。

そして現在、ラジオ体操関係最大のイベントとして「1000万人ラジオ体操・みんなの体操祭」が毎年開催されています。このイベントは、1000万人にも及ぶ人々が一斉にラジオ体操を行うという壮大なもの。昭和38(1963)年からスタートし、株式会社かんぽ生命、NHK、NPO法人全国ラジオ体操連盟主催で、毎年、開催地を変えて行われています。草の根的な人気の高さは、ラジオ体操関連書籍が好評であることなどからも伺うことが出来ます。   夏休みの早朝、まだ涼しい風が吹く中を、ラジオ体操の出席カードを首から下げて広場まで走った…。そんな思い出のある方も多いと思います。

遠山喜一郎さんは、

生前、こんな言葉を残しています。

「富士山は裾野が広いから美しい。ラジオ体操も同じだ。国民全体がやって、はじめて素晴らしいものになるんだ」。

みなさんも少しだけ早起きして、ラジオ体操を日課にしてみてはいかがですか?

 

いばらきの体操 『 茨城県民体操 』

県民体操がある都道府県は全国でも珍しい!

「茨城県民体操」は、1949年(昭和24年)に県体操協会初代会長・遠山喜一郎(ベルリン五輪日本代表)によって作成され、伴奏音楽は深海善次 (1997年没)によって作曲されました。「茨城県民体操」は3分20秒の間に13の基本動作があり、ラジオ体操より高度な天突き運動が特徴的です。

「茨城県民体操」の作成理由は当時のラジオ体操(国民保険体操)の休止がきっかけです。ラジオ体操は昭和3年からはじまっていますが、ラジオ体操は、その内容や伴奏曲は時代とともに頻繁に変わっており複雑な歴史があります。

「茨城県民体操」作曲者の深海善次は戦後の旧ラジオ体操第2を作曲していましたが、それは、わずか1年4ヶ月(昭和21年4月~昭和22年8月)で終焉してしまった“幻のラジオ体操”でした。

県民体操のレコード発見!

このレコードは、昭和49年に茨城県で開催された茨城国体の前に作成されたものです。「水と緑のまごころ国体」のコピーとマークが付いています。 国体のPR用に作成されたものと思われます。

「茨城県民体操」のほかには「茨城県民の歌」「茨城スポーツの歌」「茨城県民謡体操」が収録されています。県民体操の図解が付いています。

実は、このレコード以外にも1963年に制作されたものの存在を確認しています。