【 いばらき 】の名刺が出来ました!

茨城県

【なめんなよ❤いばらき県の名刺完成!】

いばらきの名刺

ついに、出来上がりました。

名刺の裏面には、

『 なめんなよ ❤ いばらき県 』。

<茨城を知ろうキャンペーン中>

http://www.pref.ibaraki.jp/namennayo/namennayoindex.html

<プラザ荒川沖> ⇒ http://www.arakawaoki.co.jp/

 

 

祝・来館者20万人突破!『予科練平和記念館』

予科練茨城県稲敷郡阿見町にあります「 予科練平和記念館 」は、、

平成22年2月2日に開館し、

今年で開館4年目を迎えました。

本当に多くの方々のご支援を受けて、今日も開館することができています。

展示品のどれをとっても、持ち主の方々が戦時中のさまざまな思いを秘めて

寄贈してくださったものばかりだそうです。

祝い予科練写真

※来館20万人目のご家族の皆さん。

予科練平和記念館 ⇒ http://www.town.ami.ibaraki.jp/yokaren/

JR常磐線 荒川沖駅より車15分です。

プラザ荒川沖 ⇒ http://www.arakawaoki.co.jp

 

 

「漫遊いばらきファンクラブ」 会員募集中!

カモメ大仏

みなさんにもっともっと茨城を満喫してもらいたい!という願いを込めて、

「漫遊いばらきファンクラブ」がリニューアル。
入会すると、協賛施設での割引やプレゼント等の特典がいっぱい。
さらに、お持ちの携帯電話やスマートフォンで会員証を表示できるようになりました。
しかも、お連れの方1名様もご一緒に同じ特典が受けられますので、カップルで、ご夫婦で、仲の良いお友達とも楽しみが分け合えます。
是非、あなたも「漫遊いばらきファンクラブ」に入会して、

いばらきの楽しさ、素晴らしさ、奥深さを実感してみませんか!?

http://www.ibarakiguide.jp/fan.html

シャトー[1]

みこし2みこし3

サッカー (2)

http://www.arakawaoki.co.jp

荒川沖の歴史

駅前■■■ 荒川沖の歴史ヒストリア ■■■

★ 『 荒川沖 』

荒川沖宿の由来は、水戸街道が慶長九年に開通したとき、 荒川本郷から移住した有力農民七戸が街道沿いに宿場を形成したのが村の起こりで、 いわゆる荒川沖宿で水戸街道二十宿の一つである。

荒川沖駅は茨城県土浦市にありますが名前の元は隣町の「稲敷郡阿見町荒川本郷」と関係があります。 江戸時代以前、この一帯は「荒川野」と呼ばれていました。

これは川(実際は乙戸川や霞ヶ浦と牛久沼)が頻繁に氾濫していた為一帯は年中水に浸かっていました。 この様子から「荒れる川の野」「川に荒らされた野」と言われたのが始まりらしいです。 その「荒川野」を沖に見る地区が現在の「荒川沖」です。

江戸時代には水戸街道の宿場町となっていました。 年中川が氾濫する地区を避けて街道が通っていたためです。 駅名はここから付けられたとされています。

< 荒川沖の今昔 >

★  名前の由来

荒川沖は、阿見町荒川本郷から分かれた集落で、荒川本郷から遠くに見えるところから“荒川の沖” (沖:遠いところの意味)と言われ、水戸街道の歴史と共に歩んで来たところである。

< 水戸街道と共に栄えた庶民の宿場 >

もともと水戸街道は、鎌倉街道の脇街道として、水戸道中とか江戸往還などと言われる細い道が通っていたが、 徳川家康が江戸幕府開設早々の慶長九年(1604)7月から同14年12月にかけて、直轄工事でまっすぐに改修したものである。

荒川沖と牛久間の改修については、牛久藩主山口重政がその任に当たり、完成後慶長15年11月荒川道取締りのために、 領内の信田郡荒川村(阿見町荒川本郷)の有力農民7戸を選んで、ここに移転させ、藩の役人の下で街道取締りに当らせた。 そして街道用務の増大に伴って、領民を張りつけた。

寛永8年(1631年)の記録では、宿戸数は40戸になって、街道の宿駅村落としての形態が形成されたという。 荒川宿はかくして、その名を正式名称としたが、当時の書付をみると、沖村、荒川村沖荒川村などと書かれており、 一般的には荒川宿で通用していたのである。

その荒川宿は、

いわゆる殿様が宿泊する陣屋宿場でなく、

牛久陣屋宿場と中村陣屋宿場の中間にあたる 「継立宿場」として

もっぱら庶民の宿場であった。

http://www.arakawaoki.co.jp

 

人の言うことは気にするな!

ジョン日本人って、

やたらと人目を気にする民族だと思いませんか?

「 こうすれば、ああ言われるだろう…..。」

こんなくだらない感情のせいで、

どれだけ多くの人が、、

やりたいこともできずに死んでいくのだろう……。

茨城県つくば市で古代土器 発見!!

2012年2月24日(金)
つくば島名熊の山遺跡で墨書土器860点 東日本初の「尋」木簡も

県教育財団は23日、つくば市島名の島名熊の山遺跡の発掘調査で、奈良時代の集落の水場から県内最多となる約860点の墨書土器が出土したと発表した。須恵器や土師(はじ)器の坏(さかづき)や高台に「川」「西」「殿」など82種類の文字が書かれており、同財団は「屋号のようなものを示すもので、力のある主催者のもとで複数の集団が集まって祭祀(さいし)を行っていたと考えられる」と説明。また「嶋名」と書かれた土器もあり、同遺跡のある大字名が奈良時代から使われていたことが明らかになった。

墨書土器は約200平方メートルの範囲の水場でまとまって出土。さらに、そのそばにある井戸跡周辺から、布の長さを示す「長三尋(ひろ)一尺七寸」と記された木簡を発見。税として納める布に付けたと考えられる。「尋」の単位が書かれた木簡の出土は東日本では初。同財団は「朝廷が日本全体を一つの国としてまとめていたことが分かる。古代の行政システムの一端を知る貴重な手掛かり」と話した。

島名熊の山遺跡は、同市南西部を流れる東谷田川右岸の標高13〜24メートルの台地上から低地部に立地。島名・福田坪一体型特定土地区画整理事業に伴い、昨年4月から3月までに3558平方メートルを調査している。同遺跡に隣接する島名本田遺跡の調査結果も発表された。