“茨城”インターネットTV「いばキラTV」

茨城県

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茨城は日本の衛星通信発祥の地

アンテナ (2)

<KDDI茨城衛星通信センター>

” 日本初の衛星中継 ”

世界中の出来事を、リアルタイムで中継してくれる衛星通信。

海外のニュースやスポーツ映像などが、いまでは当たり前のようにテレビで流されています。    しかし、ほんの40年ほど前までは、とても考えられない画期的なことでした。 そして、日本で初めて太平洋を越えたテレビ中継の電波をキャッチしたのが茨城県多賀郡十王町(現・日立市十王町)に設置されたKDD茨城宇宙通信実験所(現KDDI茨城衛星通信センター)です。    KDD茨城宇宙通信実験所は、1963年(昭和38年)11月20日に開設されました。そして、日本初の衛星通信実験が行われたのは、その3日後。アメリカのケネディ大統領と、初の日米間テレビ衛星中継を行う約束が交わされていたのです。この実験では、ケネディ大統領からのメッセージ映像が、日本国民に対して放送される予定でした。

しかし、実際に飛び込んできた映像は、なんと「ジョン・F・ケネディ大統領、テキサス州ダラスで暗殺!」という衝撃的なニュース。1963年11月23日(米時間22日)、日本中の人々は、茨城県で受信された日本初の衛星通信で、この悲しい事件を知ることとなったのです。

” 新しい情報インフラへ役割の多くを託す ”

KDDI茨城衛星通信センターは、これまで、メキシコオリンピック、アポロ11号月面着陸など世界的なビッグニュースを日本に紹介してきました。

現在、設置されているアンテナは、直径32メートルの大きなパラボラアンテナが2基、その他、直径13メートル、直径11メートルなど大小合わせて約13基。その約半数が常時稼働しており、太平洋上空の人工衛星に照準を合わせています。静止衛星とはいえ、人工衛星は軌道上で微妙に位置を変えます。その位置をそれぞれのアンテナが、自動制御で追尾しているのです。    現在は、人工衛星が発信する電波のパワーも大きくなり、通常の衛星通信であれば、直径4メートルほどのアンテナで可能になりました。また、光ファイバーの海底ケーブルも設置され、これまで衛星通信が担ってきた役割の多くが移行しています。

KDDI茨城衛星通信センターも43年間の役割を終え、閉局することが決まりました。

しかし、その白く美しいフォルムで地域の人々から愛されてきたパラボラアンテナは、

電波望遠鏡として復活させる案も浮上。

今度は私たちに、世界初となる宇宙からのニュースをもたらしてくれるかもしれません。

 

茨城から世界へ!日本で最初のホームページを発信!!

サーバー

日本人として初めてWWWと出会った森田洋平博士

インターネットが日常的な存在になっていることは、

このサイトにアクセスしている皆さんならご存知ですよね。

でも、日本で初めてのホームページが、

茨城県から発信されたことはあまり知られていないようです。

日本初のウェブサイトを立ち上げたのは、

茨城県つくば市にある『文部省高エネルギー物理学研究所(KEK)』

(現在は『大学共同利用機関法人・高エネルギー加速器研究機構』)。

1992年9月30日に、当時、計算科学センターに所属していた森田洋平博士の手で、世界中にホームページが発信されました。 このとき登録されていたワールドワイドウェブ(WWW)サーバーは、まだ世界中に10数台ぐらいしかなかったということです。

森田博士がWWWという言葉を耳にしたのは、1991年にアメリカ・ダラスで開かれた高エネルギー実験のソフトウェア担当者の会議でのこと。スイス・ジュネーブのCERN研究所の研究員が、WWWを開発した話をしていたのです。当時のインターネットで流通していた情報はテキスト主体で、ちょっとした情報を手に入れるにも複雑なコマンドを覚える必要がありました。しかしWWWはこのような手続きを、

「リンクをたどれば情報が手に入る」という簡単かつ直感的な概念に置き換えたのです。

森田博士は「便利な道具ができたなぁ」と思い、KEKに帰ってから同僚に報告しました。しかし、そのときはまだ、KEKにWWWを導入するすることは思いついていなかったそうです。

<茨城から世界に向けてホームページを発信 >

日本で最初のwwwサーバ    WWWの概念は1989年にTim Berners-Lee博士によって提唱され、スイス・ジュネーブのCERN研究所でプログラムの開発が始まりました。森田博士は1992年に、フランスで開かれた国際会議の後に立ち寄ったCERN研究所でTim Berners-Lee博士と出会います。そして「情報はネットワーク上でみんなと共有して、はじめて価値が生まれる。WWWはハイパーテキストのリンクで世界中の情報をお互いに結び付けることを可能にする。KEKもぜひWWWサーバを立ち上げてほしい」と依頼されました。    Tim Berners-Lee博士の話に感銘した森田博士は、さっそくCERNの端末室に出向き、ネットワーク経由でKEKにログインして初めてのHTMLファイルを作りサーバー上に置きました。それからTim Berners-Lee博士にそのアドレスを電子メールで送り、CERNのリンク集のページにKEKを加えてもらいます。

これが日本で最初にWWWの網の目にリンクされたサイトとなったのです。

その後“Mosaic”や“Netscape”などのブラウザが登場し、WWWは爆発的に拡大していきます。かつて、パピルス(紙)の発明が人類の歴史を変えたように、WWWは情報の流れを変えてしまったのです。その情報革命を、図らずも世界中に知らしめる惨事が日本で起こりました。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災です。発生した当初、現地の模様はテレビカメラが上空から撮影する映像しかありませんでした。しかし、神戸市の職員が被災の状況を現地で撮影し、WWW上にアップしたのです。これにより災害の悲惨な状況が、リアルタイムで全世界に伝わったのです。

1997年にベルリンで開かれた国際会議に出席した森田博士は、
冷戦が終わって間もないドイツの市街地で、アメリカの宅配会社のトラックを目撃します。何気なく荷台に視線を送ると、そこにはURLが書かれていました。7年前まで情報から隔絶されていた東ベルリンで、世界中から情報とアクセスできるWWWのアドレスを目にするなんて…。森田博士がサイトを立ち上げてから5年。歴史が変るときの劇的なスピードに、森田博士はめまいにも似た感動を覚えたと言います。

≪知を蓄積したネットの海が人類の未来を創る≫

WWWは、必要な情報を必要とする全世界の人たちに、瞬時に伝える力を持っています。また、個人がテレビ局のように情報を発信することも可能にしました。WWWは、情報にかけられたさまざまな障壁を下げることに成功したのです。

しかし、人間にはポジティブな側面があると同時に、ネガティブな側面も存在します。

有害な情報やウソの情報が流出する危険も考えなければなりません。

そこで、情報を受け取る側に必要になってくるのが情報リテラシーです。

森田博士は、

「コンピュータネットワークの向う側には、人間が存在しています。だから、情報を見たときの雰囲気や文脈で、相手の個性を見抜く必要がある。そういった能力を高めるには、まず、生身の人間同士でコミュニケートする機会を増やすことではないでしょうか」と、情報リテラシーの向上についてアドバイスしてくださいました。

現在、人類の知識は電子化されてネットの海の中に蓄えられています。その海から、人類は何を享受するのか。また、どういう地球の未来を築いていけるのか…。

いずれにしても、一つだけ確かなことは、

世界はインターネットがなかった時代には後戻りできないという事実です。

私たちもネットワーク社会の一員として、

また、日本でのホームページ発祥の地の住民として、

みんなでインターネットの正しい使い方を考えていきましょうね。